お前に離し掛ける奴らを見ると心が揺らぐ。
お前が他の奴らと親しげに話しているのを見ると心がざわめく。
他の奴等がふざけてお前の身体に触れるのを見ると、心が乱れる。
こんな気持ちになるなんて、俺は今までなかった。
『嫉妬』などという俗な言葉を…。
普段、何気なく使われている言葉には、一体どんな意味が込められているのかと辞書を開く。
ぱらぱらとページを開き、知りたい言葉を探す。
「し…しっと…嫉妬…あぁ、これか」
『ねたみそねむこと』、『やきもち』、更にそれらを調べる。
『うらやみ憎む』、俺はあいつ達をそんな思いで見ているのか?
しかし、俺達には関係ないはずだ。それなのに、何故こんな気持ちになるのだろう。
「わからないな…」
手塚は辞書を元に戻し、椅子に深く腰掛ける。
そして両肘を机の上に置き、頭を抱える。
もやもやとした感情だけが手塚の心を占めていた。
「…いや、わかってはいるのだが…」
はぁ、と何度目かわからない溜息を吐き、家族に見つからないように隠しておいた写真を取り出す。
その写真に写る人は、綺麗な笑顔を浮かべている。
これは自分の為だけに向けられているのだと信じている。
「俺は、お前を独占したいんだ…」
眉間の皺を数倍深くして、伝えたい相手には届かない声を空気に溶かした。
「おっチビー、一緒に打とう?」
毎日の部活において、菊丸はリョーマを良く誘う。
「…またっスか…ま、いいけどさ」
たまには違う人と打ちたい。
ついついそんな気持ちを込めて返事を返してしまった。
「うう〜、おチビ…冷たいにゃ〜」
その言葉を聞いた菊丸は、泣き真似をして訴える。
「英二、リョーマ君を困らせてどうするの」
「う、不二…」
少し戸惑ったリョーマを助ける為に、不二がさっそうと二人の前に現れた。
「ごめんね、英二がワガママで。…僕と打とうか?」
にっこりとリョーマに微笑み、その肩に手を置く。
そして耳元で、菊丸と同じ様にリョーマに言葉を呟く。
「不二、ずるいぞ!」
不二の行動には、ギャイギャイと両手を上げて、猛烈に抗議していた。
「…また、やってるよ」
コートの中では、日常となった光景が広げられていた。
菊丸も不二も、リョーマに特別な感情を抱いている。
それをリョーマに伝えるというのは、どうやら今のところは考えていないようだ。
周りから見ればバレバレなのだが。
『まだ、リョーマは幼い』
少し前までは小学生だったのだから、もう少し時が過ぎたら告白しようと思っている。
だが、リョーマにはもう既に特別な人がいる事を、この2人は知らない。
リョーマは、数週間前にある人に告白していたのだ。
相手も同じ想いであった為、何の障害なく付き合い始めた。
その相手とは…。
「おい、お前達…いい加減にしないか」
その姿を遠くから見ていた部長である手塚は、3人の元を訪れた。
部活の時間といっても、始まる前なのでコート内に部員はまだ少ない。
いつもの不二と菊丸の、リョーマを奪い合う闘いは見慣れたものだ。
ただし、最近は度を越しているように感じる為、度々こうして助けに入るのだ。
「手塚…別にいいじゃない」
不二は、背後から現れた手塚に振り向き、平然と答えた。
菊丸もそのセリフに「うんうん」と頷く。
「部長」
リョーマは手塚の出現により、僅かながら表情を和らげていた。
「越前が困っているだろうが」
手塚は呆れながら、2人に向かい言い放つ。
言われた2人は、特に気にせず手塚の言葉を聞き流す。
「そうだ!部長。俺と打ちませんか?」
リョーマはここぞとばかりに、助け舟に入った手塚に誘いを掛ける。
「えっ、おチビ?」
「リョーマ君!」
まさか手塚に誘いを掛けるなんて思わなかった2人は、慌ててリョーマを見つめた。
「あぁ、いいだろう」
そして次に、それを了承した手塚を凝視する。
「じゃ、あっちのコートで」
「越前、お前から打っていいぞ」
2人はコートに入り、ボールを打ち合う。
ラケットに当るボールの音だけがコートに響きあう。
「にゃんか、最近のおチビ…」
「ちょっと…気になるね」
手塚と打ち合うリョーマの姿を眺める不二と菊丸。
本気で好きな相手だから、その行動の一つ一つがとても気に掛かるのだ。
最近のリョーマは、菊丸と不二の誘いを良く断る。
そして、その代わりに手塚に誘いを掛ける。
それがどんな意味を持っているのか、2人は知らない。
「よーし、皆。集合だよ」
竜崎の一言で部員全員が集まり、本日の練習が始まった。
「おっチビ」
「リョーマ君」
部活が終わり、着替えを済ませた不二と菊丸は、またもやいつも通りにリョーマに話し掛ける。
「何スか?」
1年生はコート整備を行った後なので、着替えるのはほとんど最後になる。
レギュラーの数人は、1年生より先に帰る事はしない。
残るのは、不二・菊丸・大石・手塚の4人が主なメンバーだった。
手塚は部長として、大石は副部長としての責任感があり残っているが、不二と菊丸はリョーマと一緒にいたいが為に残っていた。
「今日はこれから予定ある?」
「一緒に帰ろうにゃ」
他の1年生は着替えを終えて、帰路についていた。
まだ着替えている最中のリョーマに、一緒に帰ろうと誘い掛ける。
「…今日は駄目っス」
リョーマは少しだけ考えて、2人に答える。
「えー?今日も駄目にゃの?」
「最近付き合いが悪いけど、何かあるの?」
最近も何も無いじゃないか、とリョーマは思うが、この2人にそんな考えは通用しない。
まるで自分を責めているかのような2人に、リョーマは困った顔を浮かべる。
「おいおい、2人共」
それを見ていた大石は不二と菊丸を宥める為に近寄る。
「「何?」」
しかし、じろりと睨まれて大石は、上げていた手をそろそろと下ろした。
そして手塚に『どうにかしてくれ』と目で訴える。
「どうせ、何も無いんでしょ?」
「な、一緒に帰ろ?」
2人はずいと詰め寄った。
背の高さをフルに活かして、リョーマを上から押さえ込もうとしている。
「本当にいい加減にしないか、不二、菊丸!」
手塚は大声を上げて、2人を止める。
突然の声に驚いた2人は、リョーマから視線を外した。
その瞬間を見逃さずに急いで逃げ出す。
「あっ、リョーマ君」
「おチビー」
手塚のお陰で逃げ出せたリョーマは、手塚と大石の後ろに隠れる。
「今日も明日も駄目なんです。予定があるんで」
手塚と大石の後ろから、きっぱりと誘いを断る。
この2人の後ろなら安全だ。
ここなら不二達も、むやみに自分を引きずり出そうとしないだろう。
「わかったにゃ…予定が無い日は一緒に帰るんだにゃ」
「約束だよ」
2人はまたもや、本人の了解無しに約束を取り付ける。
そして、諦めて部室から出て行った。
嵐が去った部室は、静けさだけが残っていた。
「すみませんでした…」
リョーマは、大石と手塚に謝った。
いつもの事だが、あの2人の猛烈アタックには本当に困る。
好かれるのは喜ばしい事だが、あれは行き過ぎてる行為だ。
「いや、俺達はいいんだが、大変だな越前も」
「…はぁ」
大石も不二と菊丸の行為には、困ったモノだと思っている。
恋する男達…相手も男なのにな…。
ちらりとリョーマを見るが、これなら仕方ないかと大石も納得せざるを得ない。
まだ発達途中の小さく細い身体に、少しだけ吊り上った大きな瞳。
スラリと高い鼻の下には、小さく薄い唇。
まるでビロードのような髪。
口さえ開かなければ、少女のように見えてしまう。
自分ですら、そんな歯が浮くようなセリフが、ポンポンと出て来る。
そのくらいの愛らしさが漂っているのだ。
「まぁ、頑張れよ」
最後にポンと肩を叩いた。
「…はぁ」
そんな事言われても、と気の抜けた返事しか返せなかった。
「それじゃ、俺達も帰るか。手塚」
「すまない。まだ部誌が書けていないので先に帰ってくれ」
手塚は部室の机で部誌を記入していた。
先程の件でまだ書き込めてない部分があるので、先に帰ってくれと大石に伝える。
「そうか?鍵は持ってる…よな。越前も早く着替えて帰れよ」
リョーマは、不二と菊丸のお陰でまだ着替えの最中だった。
大石は手塚とリョーマを残して、部室から出て行った。
「ふう、ホント困る」
ぶつぶつ言いながら、ばさりと制服のシャツを羽織り、ボタンをはめる。
「本当にな…」
部誌を書き終えた手塚は、椅子から立ち上がりリョーマの後ろに立つ。
そして、そっとその身体を後ろから優しく抱き締める。
「…部長」
「今は2人きりだぞ」
耳元で囁かれ、ブルリと身体を震わせる。
こくりと頷き、小さな声で呼ぶ。
「…くにみつ」
「そうだ、リョーマ」
名前を呼ばれて満足したのか、手塚はリョーマの頬に口付けを贈った。
そう、リョーマが告白した相手とは、部長である手塚国光だったのだ。
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